思考停止と好奇心の欠落が人の心を蝕む

仕事に忙殺され、満員電車に揺られながら帰途につくとき、

誰でも一度は、

「仕事から解放されて自由になりたい」

と思ったことがあるのではないかと思います。

私も、朝の6時前の電車で会社に行っていた時期があったのですが、その時はふと、

「何のために生きているのかな・・・。」

なんて思ったものです。

 

「自由になりたい、時間を自分の好きなことだけに使って生きてみたい」

こう思ってセミリタイア、アーリーリタイアもしくは早期退職などに至ったにもかかわらず、

「これから時間はすべてあなたのものです。何に使ってもいいですよ。」

という状況になると、

はじめの数ヵ月は拘束からの解放がとても新鮮でいいのだけれど、

その後に続く、特に変化のない毎日と社会から隔離されたかのような疎外感に悩まされる。

さらに深刻になると、

「生きている意味が分からなくなった・・・」

そんな人が意外と少なくなからずいるように思います。

 

どうしてそうなってしまうんだろう?

私もいつかそういう悩みを持つようになるだろうか・・・。

 

結局のところ、そうなってしまうのは、

今までの人生で受け身のスタンスを取ってきてしまったところにあるのかなあ

と思うようになりました。

 

一言で言うと、

「思考停止」な人生。

 

私たちは、気がついたら小学校に入学し、特に何も考えずに当然のように中学へ進学。

その後はそれぞれの進路に向うものの、まあ進学か就職か、女性であれば結婚して家庭に入る人もいるかな。

なんとなくみんながそうだし。

 

仮に何も考えず、なんとなく進学しても、就職したとしても、結婚しても、

望む望まないは別として、

日々やらなければいけない何かが勝手に与えられることになり、

それをこなすことで時間が過ぎていきます。

 

それでも充実感をもって過ごせる間は何の問題もないですよね。

結構幸せだったりもするものだし。

 

私が就いていた職業はちょっと特殊というか、ざっと言えばとある資格職でした。

その資格を取得するにはそれなりに勉強が必要だったので、

なんとなく就職したというよりは、目指して就いた職業だったわけです。

それなんで、大学時代には目指すべきものがあったわけで、目標に向かって頑張る毎日だったんですね。

 

ところがいざ就職すると、ある種の目標達成感があって、なんというか、

毎日いってみればルーティーン。

専門分野での知識が増えていくこと、社会のいろんな事情がその仕事を通して見えたことに意味を見出せたのは幸いでしたが、

それでも月日が経つにつれ、

以前はあったその分野への好奇心がどんどん薄れてしまっていく自分がいる・・・。

気がついたら、これからどうしていきたいとかそんなことも特に思いつかない思考停止状態で、

与えられた仕事をただこなす日々・・・。

 

それに気付いてからというもの、

その仕事を続けることが疑問でいっぱいになり、

人生を無駄にしているのではないかという恐怖感さえ湧き出てくる毎日。

 

「これから何十年と続く人生で、今度は何を目標にして生きていけばいいのかな・・・」と、

この先のモチベーションみたいなものがよく分からなくなったのを思い出します。

 

じゃあプライベートでのライフイベントになにかを見出せばいいのではないか。

 

そうですねぇ、例えば、

結婚にしてもご縁やタイミングの問題、

子育てに喜びを見出すにしても、子供はまた別人格を持つひとりの人間なので彼らの人生があるわけだし、

そもそも望めばだれでも子供にご縁があるかとといえばそうでもない。

 

要するに、

自分でコントロールできるような性質のものでは必ずしもないんですよね。

ある意味なるようにしかならない要素がとても多い。

 

もちろん家族の存在が与える影響はとても大きなものであり、

とてもありがたい存在であるのは間違いないですが、

それでも、

こういうものに精神的に依存しすぎるのは、どこかで限界みたいなものがあるのかなあ

と思っていました。

 

たまに、

「人間は、結局だれでもひとりなのだ」

みたいなこと聞きますよね。

 

これって解釈の仕方は人それぞれでいいんだと思うんですが、

私が思うのは、

 

「人って自分の心を満たすために、

誰かにそうしてもらおう、何かを与えてもらおうと思っている限り、きっとそれは叶わない。

結局のところ、自分の人生を充実させ、心を満たすことができるかは自分次第。

そういう意味で人はだれでもひとりなのかもしれない」

ということ。

 

より良い人生にするためには、

自分の頭で考え、行動し続ける。

好奇心を失わぬよう、思考停止に陥らないよう気をつけることが大切。

ただそれは結構大変だったりもする。

 

たくさんの自由な時間を得、誰にも何かやるべきことを強制されない今、

ますますそんなふうに思うようになりました。

 

 

 

2 Responses to “思考停止と好奇心の欠落が人の心を蝕む”

  1. ym より:

    経済的独立を果たすと人の評価なんてどうでもよくなります。
    自由を得ることは孤独と繋がります。
    自分に向き合い考え抜く。
    なんて贅沢なことでしょうか。
    この心境に至るまで4年かかりました。

    人と必要以上に繋がりたくないですが、
    独りよがりも考えものだなと思うこの頃です。

    • nana より:

      しばらく家を空けていたため、承認、返信が遅れまして失礼しました!

      誰かの評価を気にして生きることは、結局のところ「他人の人生を生きること」。
      本当に自分の人生を生きることができれば、そういった評価に興味がなくなるのかなぁと思います。

      孤独と自由との付き合い方、人や社会とのベストな距離感を見出すことは結構難しく、
      リタイア生活においては誰しも一度は考えたり、悩んだりしたことがあるテーマなのでしょうか。

      まだまだ模索中ですが、心地よいと思える答えが見つけられたなら、さらに人生が充実したものになると思います。

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ